著:事務局 平塚 

 2002/6/17

 

今回は、「もてぎエンジョイ耐久(通称joy耐)」をテーマに取り上げたが、結構長い話になるのでいくつかのパートに区切って書くことにした。

パート1

1月下旬頃

「いよいよ今年もエンジョイ耐久の時期が来た!」(本番は5月ではあるが) と感じ始める。 もちろん「参加したい」という気持ちである。

しかし、去年の筑波耐久の最終戦の時に「2002年はレースはお休みをする」といつも一緒にやっているドライバー・メカニックに”宣言”している。 その理由は省略するが、その”宣言”のこともあり、2002年joy耐は出るべきか?出ないべきか?結構悩んだ。

メカニックから「是非、今年もやろう!」と言われ、「じゃあ、やってみようか」という気になったのが、2月上旬頃。

とはいえ、耐久レースは大変である。何が大変かといえば、1人でやるレースではないわけで 「ドライバー探し」から「資金の管理」などなど…

とりわけ一番大変なのは「ドライバー探し」である。ドライバーがいなければレースには参加できない。当然である。去年一緒に参加したドライバーのうち2人は、今年は自分のマシン(EK9)で、参加するということで、その2人のドライバーの穴を埋めなければならない。

 しかしそのドライバーも誰でも良いわけではなく、ある程度の”条件”がある。 

第1 ドライビングが一定以上のレベルにあること。

第2 参加負担金が捻出できること。

第3 マシンを大事に乗ってくれること。

第4 A級ライセンスを持っていること。

第5 週末が休みであること。

うちのチームが完全なプライベーターである以上「いくら速くても、資金がゼロでは乗せられない。もちろん、いくらお金があっても、あまり遅くても乗せられない」 こんなことを考えていると、声を掛けられるドライバーは非常に少ないのが現状だ。 探さなければならないドライバーは2名。簡単なようで難しい。

それでも、私(平塚)と、徳田さんともう1人(菊地さん)は目処がついた。あと1人。というところで2月下旬になった。

じつは使用するインテグラのエンジンはオーバーホールをしなければいけない状態で、しかも、かなり本格的な(上から下まで)O/Hとなる見こみであった。当然、日数もかかる。

joy耐の第1回公開練習日が3月23日ということを考えれば、2月末日にはドライバーを決定して、エンジンO/Hの作業に取り掛からないと、第1回練習日には間に合わない。かなりあせった。

2月28日の時点でドライバーが決まらなければ、参戦そのものを”やめよう”と思っていた。

そして2月24日、いつも走行会に来てくれている染谷さんから”OK”の電話が来た。ギリギリセーフである。今年も参加ができそうだ!!

 

 2002/6/18

 

パート2

いよいよエンジンO/Hと思いきや、今度は部品が来ない。しかもシンリンダーブロックが… ホンダに勤める知人にもいろいろ状況を確認してもらうが、3月23日の公開練習には間に合いそうにない。他のドライバーには、「3月23日にもてぎに行きます」と言ってある手前、やむを得ず、中古のエンジンを探してみる。しかしエンジンは見つからない。

「ウソつき!! 平塚に騙された!!」と言われるくらいなら「新品のエンジンでも良いから乗せてしまえ」と思った。もはや金の問題ではない。ところがインテグラのエンジンAssyというのは、販売されていないという。またもやピンチ、絶対絶命である。

なぜ公開練習にこだわるかというと、走行時間が長いことと、もてぎのライセンスがなくても走れるということがある。個々に練習に行くとなると、通常もてぎの1日の走行時間が30分×3本程度しかないので、1日1人しか走れず、練習走行代が高くつく。そしてもてぎのライセンスを取得する必要ある。こうなると1人10万円くらい余計に頂かなくてはならない。そうなると「僕、やめた!」という人が出てくる可能性があるからだ。

でも、レースが5月中旬なのに、何で3月23日に練習日を設定したのか? それも1日だけ… 「まぁ、レースのことをあまり理解していない人が決めたのだろう」と思った。

私が練習日を決める人であれば、決勝が5月19日であれば、第1回練習日を1ヶ月半位前、第2回練習日を2週間位前に設定するだろう。もちろんコースの空き状況と相談しながら…

そこでダメでもともと、と思いもてぎのスポーツ課にメールを打ってみた。内容は「2ヶ月も前に公開練習日があっても、その日のテストデーターはあまり参考にならないし、準備が間に合わないチームもいただろうし…」などなど。つまりはもう1回どこかで練習日を設けて欲しいといった内容。実際、他のチームもそう思っていたに違いない。

そうこうしているうちに、当初予定されていなかった第2回公開練習日が決定された。  ラッキー!ラッキー!! でもその日、私は行けない。仕事である。 トホホ。

他の3名のドライバーは第2回公開練習に参加。無事に走行を終了。

 

2002/6/19

 

パート3

パート1で「耐久レースは大変だ!」と書いたがその大変なところをもう少し詳しく書いてみよう。

まず、私のjoy耐参加における立場はドライバー兼マネージャー。どちらにウエイトをおいているかといえば、実はマネージャーである。

マネージャーの仕事はドライバー探しに始まり、負担金の交渉、練習の段取りに宿泊の手配、当日の手伝いの手配に、昼食の手配、そして各ドライバー走行タイムも気になるし、走行の順番の決定(メカニックと相談)など、さらにはマシンのことも…心配は尽きない。

私が耐久を始める前に、人から「耐久はお金がかかる」と聞かされた。まあ、長い時間走る訳だから、当然だと思った。だが実際にはその意味がよくわかっていなかったようだ。

その意味がわかったのは去年のjoy耐の時だった。正直なところトータルの予算がどのくらいになるのか? あまり把握できていなかった。今年も似たようなものだが…

みんなで資金を出し合って参加している以上、みんなが公平に乗れるようにしたい。これがまず大前提としてある。

ということは、完走は実は”当然”のことなわけで、途中で何かが壊れて、部品がないからリタイヤというわけにはいかない。もちろんクラッシュやエンジンブローなど修復できないこともある。それはレースだから…

そんなわけで、壊れる可能性がある部品は準備しておかなければならないし、途中で不具合が起こる可能性のあるパーツはレース前には新品にする。ミッションもドライブシャフトもローターもハブもパット゛もタイヤもその他いろいろ。 ここにお金がかかるのだ。

 

2002/6/19

 

パート4

そしてレースウィーク

結局、私は練習が出来ないまま、レースウィークを迎えた。

5月16日(木)インテグラの搬入&徳田さんと私の練習走行日

それぞれ3本ずつの走行を行う。全開走行に回転を抑えての燃費走行、そして燃費のチェック等など。

5月17日(金)菊地さん、染谷さんの練習日

全開走行に燃費走行、予選用のタイヤ作りなど忙しい。

そして後半は、雨… ウェットの練習

翌日はいよいよ予選。緊張が高まる。

 

2002/6/20

 

パート5

5月17日(土)予選日 天候は雨

今年の参加台数は82台。予選通過は65台、その他主催者推薦が11台。

各クラスから数台ずつ予選落ちとなる。我々のクラスは参加19台中4台が予選落ちとなる。微妙な割合のように見えるが、実際は厳しい。  なぜなら、我々の参加するA4クラスには、ニューインテグラにアルテッツァ、S2000に外車が少々。DC2も4台。

ちょっと気を抜こうものなら、予選落ちがあるかも知れない。土曜日でかえるのはゴメンだ。

予選アタックをするのは、第1ドライバーの私と第2ドライバーの徳田さんだけ。なぜ私が第1ドライバーになったかというと、申込書を順番に書いていって、私の時には第1ドライバーの枠しか空いていなかったというだけのこと。

菊地さんと染谷さんはある程度タイムを出しておけば大丈夫ということであるものの、ウェットでの走行に多少緊張気味か?

いよいよ予選開始。計測時間は各ドライバー15分間。

当然、1周目にコースアウトでもしようものなら、計測は出来ず、予選落ちとなってしまう。 コースイン後、少しずつペースを上げていき、最終的にはウェットコンディションの中、2分29秒台。

その後、徳田さん、菊地さん、染谷さんと、無事走行をして、予選総合16位にて通過。

予選終了後(決勝前)のメカニックは大変である。ミッションのO/Hから足回りパーツの交換、さらに細部にわたるチェックなどなど。作業は夜遅くまでかかる。これにはドライバーは感謝しなければならない。

予選の結果は ⇒   総合予選

2002/6/21

 

パート6

いよいよ決勝日

朝、6時起床。窓の外を見ると、晴。 「ウーン気持ち良い」

朝食を取りながら、テレビの天気予報を見ると、ナント夕方から天気は崩れるとのこと。 「フーン、そうなんだ」 という気持ちで見ているだけ。 予選は晴、決勝は雨なんて言うことは、レースの場合よくある話。アウトドアスポーツだから”当然”だ。 むしろ「うちのチームにとっては良い方向に転ぶかも?」なんて思っていた。 なぜなら、ウェットのほうが、パワーの差が出にくくなるし、燃費も良くなる。その他、思いがけないことが起こるかも??などと勝手に期待してしまう。

サーキットに到着すると、今日の私の仕事は当日、お手伝いに来ていただいた方に作業の説明(給油の方法)と仕事の割り振り。 そしてすぐに、スタートドライバーのミーティング。結構忙しい。

走行の順番は前日のミーティングで決めておいた。

給油が5回で走るドライバーは、のべ6人。スタートが私で、徳田さん、染谷さん、菊地さん、徳田さん、染谷さんの順。 「9時間耐久だったらみんなで仲良く2時間くらいずつ乗れるのに…」と毎回思う。

私は”いいだしっぺ”なので 「私が一番走行を少なくすれば良い」 といつも思っている。メカニックにもそう言ってある。もちろん何回かやっているうちに調整はしていくつもりだが…

私がスタートドライバーになったのは、「予選アタックをしたドライバーのうちベストタイムを出した方がスタートドライバーとなる」というレーギュレーションがあったためである。

私は「最初の1時間だけ走って、あとはゆっくり(実際にはそうもいかないが)レース観戦をするつもりだった。

 

2002/6/21 パート7 

午前11時 いよいよ7時間の決勝スタート。

76台のローリングスタートは国内では前例がない。見ていると、さぞかし壮観なのか、ただゴチャゴチャしているだけなのか、運転している私には判らないが、とりあえず、全車スタートが切れたようだ。

やはりDC5が先頭でレースを引っ張る。

こちらはあくまでも、マイペース。もちろん全開で行ってもニューインテには追いつくはずもない。多車のペースに惑わされることなく、周回を重ねる。予定の周回数を終えたところでピットイン、最初の給油である。

給油レーンに行くとそこに待ち構えていたのは、レーシングカーの渋滞であった。「アララ…。何分かかるのだろう?」というくらい混んでいる。大きなタイムロスを余儀なくされてしまう。

給油に要した時間は13分少々。1周分以上のロスとなってしまった。

そしてドライバーは徳田さんに代わった。

徳田さんはレースでのキャリアも豊富で、何の心配もない。

そして2回目の給油&ドライバー交代。 

染谷さんにステアリングを託す。

染谷さんは初レースながら非常に安定している。タイムも良い。いつも走行会に来て走っているからであろう。安心して見ていられる。

そして染谷さんもルーティンのピットイン。ドライバーは菊地さんに代わる。菊地さんが周回を重ねている時に1回目のキーポイントが来た。 

セーフティーカーの導入である。

ここでの菊地さんの判断は素晴らしかった。事故現場を通過した時に「セーフティーカーが出る」と思った菊地さんは、「全開で行けば、セーフティーカーが出るときには、自分は次の周回に入ってしまう?」と判断するや、ペースダウン。すると菊地さんが最終コーナー手前に来た時に、SCボードが出たのである。

グッドタイミング。菊地さんは見事、すいている給油の列に着くことが出来たのだ。そしてその給油の列はアッという間に伸びていった。

そして、ドライバーは徳田さんへと交代。

しかし順調に周回を重ねる徳田さんに天気が悪戯した。雨が降ってきたのだ。 予報通りである。路面が濡れる。ウェットでの走行を見守るピットクルー、そしてドライバー。そして徳田さんのタイムが落ちる。ピットは一気に慌しくなった。

ウェットタイヤへの交換準備に、燃費の計算。

セーフティカーが入ったことや、ウェットによるタイムダウンを計算すると、「もう、給油をしなくても最後まで持つかも?」といったところだ。 もちろん「最後にとまるかも?」ということでもある。 残り1時間30分。誰が乗るか?

私は、先ほどあまりたくさん走れなかった菊地さんが良いと思ったが、当の菊地さんは、いつガス欠になるか判らないことに加え、ウェットでの走行には、あまり気が乗らなかったようだ。

で、結局ヤバイ橋を渡るは私だった。

私は「最後に雨も止んで、もう1回給油しなければならない状況になったら、菊地さんに代わってあげよう!」と内心思ってコースに入った。

しかし雨は止むことなく、降り続いた。ガソリンの残量を考えると、完全な燃費走行である。しかしポジションは序所に上がっていく。ラスト30分くらいには上位に進出してきた。

残り何分頃かは定かでないが、ピットロードの入口にあるポジションを表示するツリーの2番目にゼッケン65が表示されていた。「トップはどこにいるのだろう?」 「3番手のマシンはどこにいるのだろう?」 さっぱり判らない。 ピットでは「ペースを下げろ!」のサインが出たと思えば、今度は「ペースを上げろ!」 がでる。 「下げろ、上げろ」と言われてもどのくらい上げれば良いのか、また下げれば良いのか判らない。

3番手の車が99号車ということは、ツリーの表示で判っていた。だから速い車が迫ってくる度に、ゼッケンを確認をしたが、夕方でヘッドライトを点灯しているので、ゼッケンの確認も難しくなってきた。

「なんとか2番手は確保したい!」という気持ちであったが、いつガス欠になってもおかしくない状況であった。去年ラスト数周でガス欠になり大きくポジションを落としたシティのことが頭をよぎる。今年はうちが同じ目にあうのか? でもあれあれで目立っていたなと思ったり…

そして、最後の最後で、同じチームで参加していた、60号車の吉橋さんがガス欠で止まっているのが目に入った。

もう、あとは神頼み。「ナンミョウホウレンゲキョウにアーメン」 いろいろな神様、仏様にお願いしてみる。もちろん神頼みはこんな時ばかり。車内の時計が6時01分になった。最終コーナーに差し掛かる。トップの車の位置によってはチェッカーが出ているかもしれない。もちろん出ていないかもしれない。私は出ていることを願った。

遠くにチェッカーフラッグが見えた。ピットのコンクリートウォールにはメカニック、ピットクルーみんなが身を乗りだして出迎えてくれた。

ヤッター!2位だぜー

オフィシャルのみんなもオールフラッグで対応してくれる。私はオフィシャルの方、1人、1人に手を振り感謝の意を伝え、1周ゆっくりと周回した。

パート8

マシンを表彰台の前に停め、他のドライバー、メカニックと固い握手。

表彰台に乗る気分は格別だ。

マシンはそのまま車両保管となるが、後でガソリンの残量を調べると、残り0.8リットル。あと1周あったら、チェッカーが受けられなかったかもしれない。

今回のレースを振り返って、どうも、私だけ楽しみすぎたようだ。

そういう展開になってしまったといえば、聞こえは良いが、まず予選アタックの緊張感を楽しみ、スタートの緊張感を楽しみ、そしてラスト、ガス欠になるかどうかの緊張感を楽しませてもらった。正直、おいしいところ総取りである。

だから、今度はみんなに危ない橋を渡ってもらおうか?

決勝の結果は ⇒  正式決勝結果